TOKYO TATEMONO RECRUITING

当社についてプロジェクトストーリー

PROJECT STORY

有明地区住宅開発

プロジェクトをそれぞれの視点から語る

開拓期を語る

未開のエリアに
まったく新しい
住環境を創造する

遠藤 崇

住宅事業企画部CRM室長
1992年新卒入社

※在籍部署はインタビュー当時の部署となりますので、
現在の部署とは異なる可能性があります。

PROFILE

大学では土木建設工学を専攻。地盤解析やコンクリート工学などを学ぶ中で、都市開発への興味が高まり不動産業界を志望する。さまざまな企業を見る中で、東京建物の少数精鋭という環境に惹かれ、個人に与えられる裁量の大きさ、その中に身を置くことで得られる自身の可能性を思い描き、入社を決意する。

「当時、有明エリアで大型マンションは2棟のみ。主要都市交通網が発達しておらず、物流の拠点が多くを占めていたエリアでの開発でした。しかし、臨海副都心計画もあり注目されているエリアで、これまでの延長線にあるような大型分譲マンションではなく、まったく新しいものを生み出してやろうと意気込んでいました」。東京建物の有明エリアで初となるマンション開発となったブリリアマーレ有明。1,000戸を超える大規模な開発にあたり、プロジェクトメンバーはどのような付加価値を創出するか議論する日々を送る。「自信はありました。しかし、用地取得後に都市計画変更に伴う容積率の割増や、そのための行政折衝など難易度の高い事象が起こり、その対応に追われる日々でした。しかし、私たちがさまざまな困難を乗り越え開発を進めることが、このまちの未来につながるという想いが強かったからこそ、なんとしても前に進めていくのだという意志を持ち続けられたのだと思います」。こうして、さまざまな困難を乗り越え、ブラッシュアップしていった開発プランは、当時のマンション開発の常識を打ち破るようなものとなっていく。

インタビュー風景

未開のエリア。それはつまり可能性が数多くあるエリアとも言える。その将来性や可能性を感じ、このまちに住みたいという意欲を引き出すために、遠藤はここでしか体験できない開発を目指していた。「有明という土地が持つ魅力を際立たせることが大きな開発テーマでした。例えば、有明ならではの眺望の素晴らしさ。そこに着目し、マンション最上階を共有スペースにするという案が生まれました。当時のマンション開発では、居住スペースをいかに確保するかという観点が重視されていました。その中で、最上階ワンフロアを共有スペースにすることに対して、さまざまな意見がでました」。最初から皆が、賛成したアイデアではなかった。しかし、遠藤は、このプランを実現するために、さまざまな観点から分析し手ごたえを得ていく。「既成住宅地ではないエリアだからこそ、さらに成長していく土地でもあります。そこに開拓者としてお住まいになる方々には、この場所ならこんなスタイルの暮らしを送れるというイメージがない状態です。だからこそどんな体験ができるのか、どんな暮らしが送れるのかという期待を高めるモノづくりをする必要がありました」。ブリリアマーレ有明は、東京建物で初となる認可保育園の誘致や、ホテル・飲食業界など他業界の運営ノウハウを導入するなど、オリジナリティの高いものへと進化していった。

有明地区住宅開発

2009年3月。東京建物の有明エリア開発1棟目となったブリリアマーレ有明は、こうして竣工した。当時の経験を振り返り、遠藤はこの経験で多くを学んだという。「共同企業体(JV)での開発だったこともあり、さまざまな立場から発せられる意見の真意を知り、どう志をひとつにしていくかに向き合い努力したことは、大きな経験でした。大規模開発に臨む上で、私一人の力ではやり抜くことはできなかった。多くの方に協力いただくために、どう振舞わなければならないのかを考えさせられました」。ブリリアマーレ有明の開発は、このエリアの地権者の方々から大きな評価を受け、その後の開発へとつながっていった。パイオニアとしてこだわり抜いた遠藤の姿勢は、連綿と受け継がれ、これからの有明エリア開発の礎となっている。